端午の節句に柏餅やちまきを食べる意味とは?由来はなに?
最終更新日:2022年2月12日 11:36
子どもの日である5月5日の端午の節句には、柏餅やちまきを食べるという家庭も多いでしょう。
中国から伝わったこの「端午の節句」は、男の子の成長の祝う日であるとされています。
鯉のぼりや鎧兜を飾り、柏餅・ちまきを食べるという古くからの風習が今でも根付いています。
しかし、なぜ端午の節句には柏餅・ちまきを食べるのかをご存知でしょうか?
今回は、端午の節句に柏餅やちまきを食べる意味や由来についてご紹介していきます。
このコラムの目次
元々「柏餅」は関東地方で、「ちまき」は関西地方で食ベられていました。
関西では柏の木が育ちにくかったことや、当時の上方文化を重んじていたこともあり、関東地方でのみ「柏餅」は広がるようになりました。
「柏餅」は、餅の中に餡を挟んで二つ折りにし、外側を柏の葉っぱで包んだ和菓子です。
餡の種類としては、小豆餡と味噌餡の2種類になります。
一方関東地方で「ちまき」と言うと、外側に竹皮を巻いて三角の形に包んだおこわを意味します。
しかし関西地方で端午の節句として食べられる「ちまき」は、甘く細長い団子を笹の葉っぱで包んだ和菓子を指すのです。
九州地方では、「柏餅」「ちまき」ではなく「灰汁(あく)巻き」が主流となっています。
木・竹などを燃やした時に出る灰から灰汁を取って、その中に竹皮に包んだもち米を入れて煮込んでできた餅菓子になります。
九州地方での端午の節句として、古くから地元の人たちに親しまれています。
端午の節句として柏餅が食べられるようになってきたのは、江戸時代頃からだと言われています。
柏の木の葉っぱの特性として、次の新芽が出てくるまで古い葉っぱが落ちずに留まるという性質があります。
当時の人々はその特性を用いて「家系が途絶えないよう」「子孫繁栄」の願いを込め、柏の木の古い葉っぱに親を見立てたことが始まりです。
そこから柏餅は、柏の木の葉っぱで巻かれた縁起物の和菓子として人々の間に知れ渡っていくようになりました。
ちまきは柏餅に比べて歴史が長く、奈良時代から平安時代にかけて中国から伝わってきた食べ物なのです。
「屈原(くつげん)」という中国の古代詩人が、国を憂って5月5日川へ身を投げたことを国民が悲しみ、邪気祓いである楝樹(れんじゅ)の葉っぱと五色の糸を使ってもち米を包み川へお供えしたことが「ちまき」の始まりだと言われています。
時代を経て、楝樹の葉っぱの代わりに茅(ちがや)の葉っぱが使われるようになりました。
当初は「ちがやまき」と呼ばれていたのですが、短縮されていき「ちまき」という名前になったのです。
また五色の糸の色は「赤色・黄色・青色・黒色・白色」の5つの色で構成されており、すべて災いを祓う色だとされています。
無病息災の願いが込められており「鯉のぼり」の吹き流しの色にも用いられています。
今回は、端午の節句に柏餅やちまきを食べる意味や由来についてご紹介しました。
柏餅やちまきは端午の節句に男の子の成長を家族で願いながら食べる和菓子です。
今でこそ全国的に知られているのは柏餅ですが、もともと歴史が古いのはちまきだということが分かりました。
また柏餅は日本で誕生したものですが、ちまきは中国から伝わってきました。
どちらも端午の節句という同じ日に食べる和菓子ですが、その歴史には大きな違いがあるのです。
5月5日に柏餅とちまきを食べるという方は、その由来や歴史も知識に入れながら食べることでいつもとは違った意識で端午の節句をお祝いできるのではないでしょうか?