知ったらもっと楽しくなる七五三の歴史②
最終更新日:2022年2月12日 13:27
子供の行事で昔から今も続いているものは多くありますが、その中でも有名なのが七五三です。
そんな七五三には特有の儀式や千歳飴などがあります。
今回はそういった歴史を紐解き、様々な関連行事や千歳飴の由来などを紹介します。
このコラムの目次
七五三と言えば神社ですが、その神社で渡されるものとして有名なのが千歳飴です。
では七五三のお祝いに欠かせない千歳飴の意味とはどんなもので、そしてどのように作られているのでしょうか。
まずこの千歳飴の歴史は、遠く江戸時代までさかのぼります。
浅草の七兵衛という飴売りが、千年飴と銘打った飴を売り出したのが始まりと言われているのです。
この飴の特徴と言えば細長いフォルムですが、これは健康で長生きできるようにという健やかな成長を願ったものと言われています。
さらに色が紅白に分かれているのも子供が幸せでありますようにとの願いが込められているのです。
また、この千歳飴は砂糖と水飴を煮詰めて作られているのですが、最初は透明なものとなっています。
この飴が半分ほど固まった状態で空気を混ぜながら折りたたんで成型していくため白くなるのです。
千歳飴特有の独特な食感ものこの時に生まれます。
そんな子どもの健康と長生きを願った七五三ならではのものである千歳飴ですが、もう一つ特徴的なポイントと言えばその飴を包んでいる袋の絵柄と言えます。
ほとんどの千歳飴はきれいな絵柄の入った袋に包まれているのですが、この袋の絵柄にも意味があるのです。
例えばこの袋には鶴と亀、そして松竹梅や高砂の尉と姥などが描かれます。
まず鶴と亀はご存知の方も多いでしょうが長生きの象徴です。
そして松竹梅はどれも縁起の良い植物として描かれるもので、松は長寿を表わし竹は子孫繁栄を意味し、梅は気高さを意味していると言われます。
どれも子供にそうあって欲しいとの願いが込められているわけです。
さらに高砂の尉と姥はイザナギ神とイザナミ神を表わしているとされ、良縁に結ばれることを願っていると言われています。
また七五三と言えば、実は主に関西地方に伝わる似た行事として十三詣りというものがあります。
これは旧暦の3月13日辺りにおこなわれるもので、男女とも数え年での13歳の時に行うのでこの名前がついていると言われています。
特に有名なのは京都市にある法輪寺へお参りするというものです。
さらに七五三そのものは3歳・5歳・7歳で行うものですが、実はこのそれぞれには名前がついていることは意外に知られていません。
3歳のものは髪置の儀と呼ばれ男子は髪を結うために伸ばし、女子はきちんと伸ばすようにするものと言われています。
そして5歳は袴着の儀と呼ばれ男子が初めて袴を身につける日とされており、7歳は帯解の儀として女子が初めて帯を締める日とされているのです。
他には、七五三関連が由来となって決められている記念日もあったりします。
例えば毎年11月15日は昆布日やかまぼこの日ということが決められているのですが、これには七五三行事が関係しているのです。
例えば昆布の日は七五三をお祝いする栄養豊富な昆布を食べて健康に育って欲しいと考えて作られたものですし、かまぼこの日の由来も一説にはこの行事の日に紅白のかまぼこを食べる習慣があったからというものがあります。
ちなみに江戸時代ごろではかまぼこは原料となるタラや鯛などの白身魚が高級品だったこともあり、かなりのごちそうとして扱われていました。
このような子供の成長と健康を願う日に食べられるようになったのも、至極当然の流れといえるかもしれません。
今も日本の文化・風習の中では当たり前のように続けられている七五三ですが、意外と知らないことや長い歴史・そして由来があることがお分かりいただけましたでしょうか。
ただ、どちらにしてもこの風習は子供の健康や幸せを願って行われるようになったものだということははっきりしています。
ですので、子供が数え年で3歳・5歳・7歳になったときにはできるだけきちんとお祝いしたいものです。